大地の上に暮らしていることを思い出させてくれる景観が好きです。
都会に住んでいると、地面に蓋がされているかの如く忘れがちになってしまいますが、大地を彫り込んだ彫刻のような集落や景観をみると、私たちは地球という星の大地に住んでいることを圧倒的な力で思い出させてくれます。
風景は誰がつくる?
ランドスケープデザインの教科書や、風景を論じる著書は多いと思います。風景や景観をただ眺めるだけでなく、そのまなざしに含まれる人々の価値観や考え方を読み解くとき、心がワクワクします。
私の好きな著者にオギュスタン・ベルクという方がいます。景観や風景を哲学的に論じる内容は少し難解ですが、現代社会や日本の景観が抱える課題などを的確に指摘しており、示唆を多く与えてくれる風景論者の一人です。
オギュスタン・ベルク氏による著書のうち、2011年に出版された「風景という知」という書籍があります。氏によると、今の時代は風景を論じる「風景学者」は多くいるものの、「風景」そのものを作り出す知恵は失われてしまっているそうです。
良質な空間を設計することができる設計者は現在の方が多いかと思いますが、人々の日常生活から生まれる風景としては過去>現在となっている部分も確かにあるように思います。
大地に刻まれた集落を見ていると、「風景」として人々の心を揺さぶるほどの力強さを備えているように感じます。そこには素材や技術が今とはくらべものにならない程限られていたという、過去と現代の「もの」や「情報」の移動速度の違いだけではない、人々がもつ場所との関わり方(=知恵)に決定的な違いがあるように感じられます。
上に載せた写真がすべてではありませんが、私の心に響く場所の中には、風景を創り出す知恵として、「農的関わり」というキーワードがある様に感じています。
過去の風景に憧れを抱いても、過去に戻ることはできません。現代社会に合った手法や関わり方の先に、過去の人たちが作り上げた風景に負けないような空間を創り出す可能性があると信じて進むのみです。
Written by 人見